Case Study
導入事例から学ぶ活用術
1941年のタイへの進出を皮切りに、これまでに46カ国で事業を展開してきた矢崎総業。同社と矢崎エナジーシステム、矢崎計器、矢崎部品の4社を中心にしたグループの海外安全を担うのが、矢崎総業の総務人事室危機管理部。現在、5人のメンバーで業務を行っている。
主力製品のワイヤーハーネスは、自動車内にくまなく配線される電線の束に接続部品が組み合わさった製品。人間で例えるならば、各部へエネルギーを運ぶ血管と情報を伝達する神経に該当する。構造が複雑であり工程に多くの人手が必要になるため、労働集約型の生産体制になる。
総務人事室危機管理部の望月了允氏は「事業の性質上、どうしても都市から離れた場所に工場を設置するので、安全対策を考える上では情報不足や医療環境などの懸念が多くなります。だからこそ危機管理に力を入れています」と話す。
現在、日本から海外への出向者数は500人弱。併せて300人ほどの帯同家族と出張者の海外安全と危機管理を同部が担当する。
矢崎総業が2001年に海外安全への取組みを強化したきっかけは、同年2月に南米・コロンビアで現地法人副社長が誘拐された事件だった。当時は営業部門に在籍し、現地対策本部のメンバーだった堀田正昭氏は「私が海外安全の業務に関わるきっかけになった事件でした」と沈痛な面持ちで語る。
望月氏は「非常に痛ましい事件でした。こういった被害を繰り返さないために2001年から危機管理会社と契約、2003年からは海外安全の専任担当者を配置し、安全対策や医療対応を強化してきました」と説明する。
現在、同社は「海外安全・危機管理」の基本方針に「社員と家族の人命第一」、「自らの安全は、自らの手で確保する」、「企業信用の維持・確保」を掲げている。
矢崎総業では、グループの海外安全を確保するために安全調査と改善指導を実施している。対象は工場のような拠点に限らず、出向者の住宅や生活圏を含む。
工場や事務所、倉庫では、外部からの侵入を防止するための対策ができているか、また、監視カメラの映像が、木の枝などにさえぎられていないかもチェックする。
出向者の住居では、宅内への侵入方法の調査を実施。ドアスコープや鉄格子の取り付け状態や鍵の2重化なども確かめる。集合住宅であれば警備員による監視体制や勤務時間まで確認を実施。そのリストは数十項目にもおよぶという。
工場が都市から離れているため、近隣にある住宅では項目を満たせない場合もある。その際は、追加対策を講じる。住宅だけではなく、通勤ルートや生活圏内の安全も調査する。
海外出向者と帯同する配偶者は、赴任前に必ず半日ほどをかけて安全研修を受けている。学ぶのは現地の治安情勢、自宅やホテル、そして屋外での安全対策。特に誘拐や強盗対策の説明には力を入れているという。
全社的なイントラネットでは全従業員に向け、「渡航注意喚起」を表示。外務省の「海外安全ホームページ」の情報に、共同通信の海外リスク情報をはじめとした複数リソースからの情報を加えたものを整理して掲載している。
医療については予防接種情報の提供だけではなく、海外でも速やかな受診ができるように医療アシスタント会社と契約。病院の紹介や予約代行、他国への搬送、セカンドオピニンなどが受けられる体勢だ。
世界46カ国で事業を展開する矢崎グループのグローバル危機管理は、日本の本社をトップに、世界を6つ(ASEAN、中華圏、北中米、欧州/中東/北アフリカ(EMEA)、メルコスール、インド)にわけた地域本社を中心に運営する。
各地域本社に危機管理の担当者を配置しているが、人数や専任か兼任かは地域ごとに異なる。
堀田氏はこう話す。
「世界的に統一した取り組みができるようになったのは2010年頃から。メキシコで治安の悪化が続いたときに、日本とアメリカからの出向者で受ける指示が異なるなど、ちぐはぐな体制でした。そこから地域的な対応を整理していき、統一して動ける体制を整えてきました」
総務人事室危機管理部長の吉岡清訓氏は「例えば、日本は災害対策には秀でている。一方で治安がいいためにセキュリティーに関してはアメリカに一日の長がある。こういった特徴を踏まえて、協力して取り組んできました。安全調査のチェックリストや危険度評価がその成果です」と語る。
危険度評価とは地域のリスクに関する特徴をつかむため、実施している取り組み。自然災害や犯罪、政治情勢などのリスクを洗い出してリスクを算定する。世界を6つにわけた体制で危機管理に取り組む矢崎総業では、グローバルに統一した教育や研修は実施していない。しかし共通認識を育むうえで役立っているのが年間の危機管理方針だという。
目標を方針として設定し、各地域本社と情報を共有しながら進める。ここ数年は新型コロナウイルスの対策が続いたというが、今期は危険度評価の更新に取り組む。吉岡氏は「評価のための基準の調整は簡単にはいかない。地域ごとにリスクの特徴的な切り口があるので、模索しながら進めています」と話す。
近年、課題として浮き彫りになったのが、情報伝達の経路だ。きっかけは2022年2月に発生したロシアのウクライナ侵攻。同社ではウクライナの最西部に生産工場がある。日本からはいなかったが欧州内からは出向していた。
「ロシアによる侵攻が迫った段階で、EMEA地域本社へ退避準備を伝えた。彼らは最終的に侵攻開始直後に帰国しました」(吉岡氏)
EMEA地域本社で対策本部が設置され、安否確認などを実施したという。「問題となったのは複数部門がそれぞれ地域本社に現地の状況を問い合わせたことでした。地域本社からすれば同じ質問が各所から入って負担が増えるだけ。日本側の窓口を統一し、危機管理に関しては我々がカウンターパートとして地域本社とやり取りするように整備しました」と吉岡氏は続ける。
矢崎総業が情報入手のために採用しているのが共同通信「海外リスク情報」だ。望月氏は「複数のサービスを利用していますが日本語の速報は共同通信だけなので重宝しています。速報をきっかけに安否確認を含めた初動対応の必要性を調べます」と評価する。
インシデントが従業員や拠点に関連する事態かの調査に動き出すには、正確で速い情報が不可欠で、日本語であれば申し分ない。吉岡氏は「速報とはいえ多すぎるのも困ります。インシデント発生後に、数分ごとに進展が届いても見ていられない。共同通信の海外リスク情報は、情報の配信加減がちょうどよく現場にフィットしている」と語る。
堀田氏が「非常に役立つ」と話す利用方法は、海外リスク情報のポータルサイト内での検索だ。
「一般的なWebニュースで表示されるのは、ほとんど現在のニュースだけ。過去の記事が出てこないので、状況の流れを把握するに向いていない。また、新聞やニュースサイトだとどうしても日本人にとって関心の高い情報が中心で、世界的な動向についての情報が必要な我々には向いていない。海外リスク情報のポータルサイトだけが目的に合致している」(堀田氏)
海外で従業員の安全を確保する取り組みを強化して20年を超えた矢崎総業。組織・体制を創り、危機管理に取り組む「グローバルなコミュニティ」を作り上げてきた。
「叱られることはあれ、ほめられることは少ない仕事ではあるが、実際に現場で顔を合わせて話をして、人とのつながりを感じたときにはやりがいを感じる」と望月氏は話す。
新型コロナの流行は、人の往来を難しくし、コミュニティを支えていた直接のコミュニケーションが取りにくい状況をもたらした。コロナ禍を経ての矢崎総業が直面する課題について吉岡氏はこう語った。
「新型コロナウイルスの影響で対面によるコミュニケーションが途絶えた。海外では人の入れ替わりも激しい。オンラインは便利だが、対面を経験したほうがスムーズにことが運べる。人と人をつなぎなおし、グローバルな危機管理コミュニティのリカバリーに取り組みたい」(吉岡氏)
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